思考訓練場

様々なテーマを扱い自己分析をするためのブログです。

時間の有限性と意識

前回の投稿より既に一週間以上経ってしまい、習慣化の難しさを痛切におもった。日々のルーティンや私生活での乱れが投稿にも響いた。週始めの日曜日を如何に過ごすかで、その週の濃密度が変化することも日記で実感したものなので対策をしていきたい。

 

今回のタイトルである「時間の有限性と意識」は私生活の大きな悩みであり、2017年一月から半年以上改善に取り組んでいるのだが習慣を作ることができずにいる。どうしても、夏期休暇が始まるまでには時間を自分のモノにしたい。

 

PDCAサイクルを用いて自らの行動是正をするのであれば、はじめの計画タスクを日曜日に疎かにするだけで日々の忙しさに目的を失い、時間の意識さえも失われる。

 

また、五月の通学時間はかなり有意義に過ごせていた自分がいたのは自己啓発にカテゴライズされる書籍を読み、自らを高める時間を作っていたからだと、この記事を綴りながら確信した。自己研鑽という言葉が大好きになりつつある。

 

 

今回は論理的な展開のないつぶやきの塊の記事になってしまったが、投稿せずにいるよりマシだと判断した。そして、ここにある悩みのエッセンスを振り返る空間にもしようと考えている。

 

 

歴史家と自分におもったこと

私は経済学部生として、ドイツ政治の変遷を学べる講義を履修しています。毎週金曜日に一番の楽しみな講義で、何しろ教授は歴史家の中でも若手であるが故に、授業の展開も若者に気を配った内容で飽きさせません。

毎回講義後には質問カードが配られ、次回の始めには大量のざっくばらんな質問を歴史家の見地でこたえます。今日はこの時間で「共謀罪」についての質問と回答があり、そこに違和感を感じました。私自身「テロ等準備罪」についてまだまだ勉強不足です。しかし、教授は「いずれ私の発言も弾圧されますね」と述べられていました。その他にも教鞭をとる者として、如何なものかと感じるシーンがありました。

また一番の問題は、教授の発言に対しての意見が私自身になかったことでした。新聞を読むことで批判的視野を広げていくことができていると錯覚していた自分に落胆しました。

大学のような比較的自由度の高い教育現場に言論の自由は通じるのでしょうか。

私は今日感じたことから、この場を日常的に意見をクリエイトする空間として使っていこう思います。