思考訓練場

様々なテーマを扱い自己分析をするためのブログです。

虚報という公共財



公共財には、消費における重要な要素が2つある。ある人の消費が他の人の消費可能性を減らさない(1)非競合性と、対価を支払わなくてもその財を消費できる(2)排除不可能性である。

 

 先月、TwitterSNSで話題となっている「国際信州学院大学」問題をご存知だろうか。この大学はネット掲示板「5ちゃんねる」のユーザが作り上げた架空の大学である。この架空の団体が作り出した存在しない事件は、インターネットの大きな波に乗って拡散されつづけた結果、普段から情報源を確認しない人々が声を大きくなり、嘘を嘘として受け止められず憤慨する人も現れた。

 

この件に似た被害は多くあり、熊本地震の際に動物園からライオンが逃げ出したというデマは偽計業務妨害という形で動物園職員や警察、そして被災者に迷惑をかけ、救助活動にも影響を及ぼした。

 

一方「国際信州学院大学」の例をみると、この「虚報」の拡散はSNSやネットニュースから情報を得る社会にとって有益な「教訓」となったのではないだろうか。

 

事件全体の事実関係を把握せず、情緒的な虚報を拡散してしまったヒトが犯した過ちは、地震津波、大雨といった災害などの緊急性の高い事態になるほど影響力を増してしまう。毎日、様々なメディアから得る情報を丁寧に精査する力は、おそらくデジタルネイティブと呼ばれる世代にこそ欠如していると思う。そしてSNSでの誤った情報の拡散をしてしまったら、自らの情報の摂取の仕方を改めようという意識が芽生えることは社会全体に正の外部性があると思う。

 

この情報社会において、虚報を戒めとして、誰もが情報の捉え方をアップデートすることができれば、結果的に「虚報」は「公共財」の性質を持つのだ。