思考訓練場

様々なテーマを扱い自己分析をするためのブログです。

高齢大綱案2018とこれからの福祉政策

政府は17日「高齢社会対策大綱」を提示した。

具体的な数値目標を含めた内容には、2020年までの60歳から64歳の就業率目標などが示されている。また企業への支援を充実させて、65歳以上の雇用延長にも取り組む姿勢である。昨今ではあらゆる労働環境における、機械化やAI化が進んでいる。これらが若者の仕事がテクノロジーと高齢者によって奪われいく未来が容易に想像できる。

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(2018年 1月18日讀賣新聞 一面より抜粋)

働く意欲のある高齢者の就労を促すと同時に、若者の仕事を奪わずに日本全国の福祉を充実させるには、どのような事業が考えられるのか。

 

私たちは「若者」と「高齢者」、「テクノロジー」のトリレンマを相乗的に解決できる案を提示できるのだろうか。

 

私はしばらくこのテーマを念頭にこれからの公共の福祉を考えていきたいと思う。

 

日本が超高齢社会問題を抱えてどのように進んでいくのかは私たちの手にかかっている。この課題意識が企画力を養うために重要だ。

財政改革と地方自治体の動きは如何に。

アルバイト帰宅後に今朝の電車で気になった新聞記事を振り返る。「地方消費税」の配分基準を、これまでの都道府県ごとの消費額基準だったものを改めて、人口が基準を2018年度税制改革として検討している。

 

都道府県の住民の消費地は、それぞれの地での消費ではなく都市部が主となっているため、格差が生まれているとの考えだ。

 

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(2017年 11月1日讀賣新聞 一面より抜粋)

 

地方自治体の税収が大きく変わるのであろうか?

・税収の増減は自治体の政策にどうような影響を及ぼすのか?

 

これらが私なりの率直な疑問である。やはり東京都や大阪府はこの財政改革で税収が減る可能性のあるが故に反発的な意見であるそうだが、日本の約20%ほどの人が住んでいる東京都から反発があるということから、大きな改革であることがうかがえる。

 

今月は政府の政策方針の発表や、トランプ大統領の訪問ラッシュが控えているので話題は尽きなさそうである。

 

行動と結果

9/28 読売新聞 検証 アベノミクス

この記事で、東京証券取引所が主催する投資セミナーに参加する10-30歳代の割合が2016年度に比べてほぼ倍増したと書かれていた。

 

私自身、学部生であるが故にお金の使い方を塾考することなく、「今使えるお金の価値」を最大限に活かそうとしてきた。しかし、非効率な時間を過ごし、そのお金で自己投資をしたものを最大限に活かせているか否かで言えば否である。

 

時間にも同じことが言える。さらに言えば、時間の方が価値が高いのであると、様々な面から自己啓発を受けている。

 

行動と結果を伴わなければ、自己啓発に時間を投資しても何も生み出せず、先への一歩も見えてこない。痛感したからこそ、行動に移し夢中へといち早くシフトしていきたい。

同時並行で作業をこなす方法

この頃、よく考えるようになった「マルチタスク」という言葉

私が言う「マルチタスク」はIT用語でCPUが行うマルチタスクではなく、人間が作業を同時に抱えておこなうマルチタスクである。主体が人間であるマルチタスクにも二種類あるが、ここでいうものは刹那的に二つ以上のことをおこなうマルチタスクでなく、期間内に抱えた作業を効率よくすべてを完遂させていくマルチタスクである。

 

私には現状これができていない。

中学、高校とこれができないが故に定期試験の成績も、教科によって偏りがあったのではないかとおもう。最後の学生生活で習得するのが重要な課題であるので、日々の進捗を評価するうえでも、このブログを有意義に利用していきたい。

 

PDCAサイクルのなかでの行動をより、可視化させ頭の中は常にクリアで一つの作業に集中するのである。これが重要だと、今現在感じているの実践していきたい。

 

 

時間の有限性と意識

前回の投稿より既に一週間以上経ってしまい、習慣化の難しさを痛切におもった。日々のルーティンや私生活での乱れが投稿にも響いた。週始めの日曜日を如何に過ごすかで、その週の濃密度が変化することも日記で実感したものなので対策をしていきたい。

 

今回のタイトルである「時間の有限性と意識」は私生活の大きな悩みであり、2017年一月から半年以上改善に取り組んでいるのだが習慣を作ることができずにいる。どうしても、夏期休暇が始まるまでには時間を自分のモノにしたい。

 

PDCAサイクルを用いて自らの行動是正をするのであれば、はじめの計画タスクを日曜日に疎かにするだけで日々の忙しさに目的を失い、時間の意識さえも失われる。

 

また、五月の通学時間はかなり有意義に過ごせていた自分がいたのは自己啓発にカテゴライズされる書籍を読み、自らを高める時間を作っていたからだと、この記事を綴りながら確信した。自己研鑽という言葉が大好きになりつつある。

 

 

今回は論理的な展開のないつぶやきの塊の記事になってしまったが、投稿せずにいるよりマシだと判断した。そして、ここにある悩みのエッセンスを振り返る空間にもしようと考えている。

 

 

歴史家と自分におもったこと

私は経済学部生として、ドイツ政治の変遷を学べる講義を履修しています。毎週金曜日に一番の楽しみな講義で、何しろ教授は歴史家の中でも若手であるが故に、授業の展開も若者に気を配った内容で飽きさせません。

毎回講義後には質問カードが配られ、次回の始めには大量のざっくばらんな質問を歴史家の見地でこたえます。今日はこの時間で「共謀罪」についての質問と回答があり、そこに違和感を感じました。私自身「テロ等準備罪」についてまだまだ勉強不足です。しかし、教授は「いずれ私の発言も弾圧されますね」と述べられていました。その他にも教鞭をとる者として、如何なものかと感じるシーンがありました。

また一番の問題は、教授の発言に対しての意見が私自身になかったことでした。新聞を読むことで批判的視野を広げていくことができていると錯覚していた自分に落胆しました。

大学のような比較的自由度の高い教育現場に言論の自由は通じるのでしょうか。

私は今日感じたことから、この場を日常的に意見をクリエイトする空間として使っていこう思います。